覚めない悪夢

メンタル不安定な人の日記のようなもの。両親からの身体的・精神的虐待によりPTSD等を抱えていますが、人格障害B群の複合型の可能性があると主治医に言われています。
ときどきホラーゲーム紹介とかするかも知れません。たまにイタい絵を描きます。

一人称私ですが男です。たまに僕になります。情緒不安定なので、その日によってブログの書き方が違うかも知れません。

異母兄と僕


兄のことを最近よく思い出すので記事にしてみようと思います。


一番はじめの記事でも書きましたが、僕には半分だけ血の繋がった、異母兄が居ます。

正直、兄が家族の中で一番頭が良く、一番信頼のできる人で、僕は兄が小さいときから大好きでした。憧れの兄でした。けれど、長年の無理が祟って精神に異常を来して、今は統合失調症でまともに会話すら出来ません。





兄が小学生になったかならないかくらいで、父と兄の母は離婚したそうです。離婚の原因は、父がいつも不機嫌で、自由人でありたかった音楽家の兄の母を蔑ろにしたからだそうです。


詳しいことは兄もあまり話たがりません。記憶がおぼろげな雰囲気でもありました。

兄がピアノを上手に弾けるのは、兄の母の影響なんだと思います。兄に尋ねても、恥ずかしいのか何も言ってくれませんでしたが(笑)


そしてしばらくして、父は兄を連れ、僕の実母と交際三ヶ月で再婚したんだとか。それで生まれたのが僕です。

僕と兄は11歳、年が離れています。

11歳も離れているので、兄弟喧嘩なんて起きたこと無かったです。


そして、悪夢の様な日々が始まるのは

僕が生まれて4、5年後だったと思います。


僕が4、5歳になって本格的に殴る蹴るの暴力がはじまってからも、兄は甲斐甲斐しく面倒を見てくれていました。

父の暴力がはじまってすぐの頃は、兄はいつも身を盾にして庇ってくれていました。父は決まって一番幼くて非力な僕に最初に手をあげるので、兄が僕を抱きしめたり、覆いかぶさったりして最初の一撃、二撃を受けてくれていました。でも、そうやって兄が僕を庇う行為は父にとっては「自分が間違ったことをしている」と言われている様に感じる行為らしくて、父は兄が僕を庇うと更に逆上して、兄を僕から剥がして投げて、僕を殴りつけ、兄も殴りつけました。

母はいつも、キッチンなどに逃げ込んでいました。自分が殴られなくて済む様に。

僕も幼いながらに、兄が僕を庇うから余計に父が怒ることを分かっていたので、兄に「余計ひどくなるから庇わないでくれ」と頼みました。兄も兄で、その頃は大学受験が控えていて大変そうでしたし、僕を庇って兄が神経をすり減らすよりも、そっちに力を向けるべきなのは僕も分かっていました。

最初の頃こそ「お前は何を言っているんだ」と言って、兄は何度も庇ってくれていましたが、僕が繰り返し一年ほど「庇うな、兄のすべきことに集中して欲しい」と言っていたので、ある日から僕を庇うことをやめ、家族で過ごさなければいけない時は呼吸するだけの人形の様に何も言わず、表情も変えず過ごしていました。



そういった暴力が続いたり、精神的に大変な思いをしていても、兄は僕が持つ知的好奇心等に対しては、何でも真面目に答えてくれました。

そこが父とは対照的で、父は「黙って親の言うことだけ聞いて、親に跪けば、子供はそれでいい」という考えで、実際何度も僕にそう怒鳴りつけましたし、小説や思想など、そういったものを「ただの暇人がこねくりまわして作ったもの」と小馬鹿にして毛嫌いしていました。

兄は何かについて僕がもっと知りたそうにしていると、それについて書かれた本を探して手渡してくれたり...知識を蓄えることが、将来の役に立つと知っていたんでしょうね。面倒だったでしょうが、僕が満足する答えを得られるまで僕の質問責めに付き合ってくれていました。


それに、父が言っていること、父が僕たちにしていることが間違いで、世間や法律ではこうなっている、と正しい尺度を教えてくれたのも兄でした。

小説を読むことで想像力が鍛えられたり、思想を知ることでより視界が開けて見えること、父は僕たちを脅迫や洗脳に近い形で押し込めて、自分の奴隷の様に扱いたいこと...兄は色んなことを見抜いていましたし、父の前では黙って父を立てたりして、上手く立ち回っていました。


兄は父に逆らわず、父の言う通りの大学、学部に進学して、大学院まで行き、医師免許を取り、数年日本で働いてお金を貯めてから、僕以外の誰にも伝えずにアメリカに渡米しました。


兄が勤務医をしている頃からだんだんとおかしくなっているのは、僕も感じていたのですが、僕の力不足で結果としては何もしてあげられませんでした。病院を勧めたり、カウンセリングを勧めたり、知人に協力してもらってカウンセラーとさりげなく接触させてみたり、いくつか方法は試しましたが、兄は極度の人間不信に陥っていて、とても機械的、表面的にしか他人とは付き合わず、カウンセラーのことも「ラポールを築こうとしない」などと言って跳ね除けてしまいました。


渡米する頃には、仕事こそ機械的にこなすけれど、仕事が片付けば、ぼーっと廃人の様に、同じ姿勢で長時間、なにもせず、ただ椅子に座っていたり、会話しようとしても「カブト虫が靴箱の中でノコギリを揚げた」みたいな意味の分からないことを言い出したり...幻覚症状も訴えたりしました。仕事を今でも続けているのが、とにかく不思議な状態です。今はアメリカで兄の専門分野の研究員をしている様ですが...廃人になって死んでしまってはいないかとても心配です。




僕にとっての兄は、ピアノが弾けて、哲学から礼儀作法まで...たくさんの教養もあって、内的世界が広くて、情緒的なものもよく理解していて、知的で冷静で、判断力があって...格好良くて、いつも憧れの、自慢の兄でした。それは今までもこれからも変わらないと思います。


改めて文章にしていて、僕は兄からたくさんの良い影響を受けたと思いました。兄が大変な思いをしながら僕に教えてくれたことは、僕の血肉になっていると思います。兄には感謝と尊敬しかありません。


兄から見たら、僕は情けない弟かも知れないけれど。僕は兄が大好きなんだなぁ、と改めて思いました。




統合失調症なんてケロッと治って、元気にしてないかなぁ。...そんな上手くいく訳ないよね。








兄について思い出しながら書いていたら、なんだかとても長文で乱文になってしまいました...( ´-` )